2013年6月10日月曜日

にんじゃりばんばん





きゃりーぱみゅぱみゅって、ずっと新種のボーカロイドだと思ってたけど、最近老けて女性らしくなってきた所をみると、やっぱり本当は人間ということで間違いなさそうですな。
いや、可愛くてだいすきですけど(笑)



僕が好きな、もう無くなった作家さんが90年代初頭に書かれたコラムのお話をします。
その中で、今後インターネットが普及するにつれ日本人は「総評論家になるであろう」と予言したものがありました。
これは個人がWEBにアクセスする機会が増えるようになると、「評論家まがいの論評を展開する人間が増えるであろう」そしてそれらの情報源が蔓延するにつれ、既存のメディア(テレビ・ラジオ・新聞)を圧迫し始めるであろう、というような内容を皮肉交じりに書かれたものでした。「日本人は評論家が好きだから」と。みんな憧れているから、と。


そのコラムが書かれてから凡そ20年。
それが現実のものとなったのは、このブログを読んでいるような方であれば大いに理解できるでしょう。

そもそも、大手メディアの論評だって、起こされた原稿に金銭が絡むか絡まないかの違いだけであって、その仕事内容は実質個人が書いたものですからね。


実際には評論家なんて、マジもんのう○こみたいな存在だってのは、ここだけのヒミツ。
世の評論家から発せられたう○こは、水洗便所でキレイサッパリ流してなんぼ。





自分でブログを書いてても思うんですが、PCの前に向かってタラタラとキーボードを打っていると、気軽に文章を書ける反面、表現の自由とその怖さにドキっとする瞬間があります。
あっ、、、こんな事書いちゃあ駄目だろう!って。

人に何かを伝える、あるいは表現をする際、自分の中で最も大事だと考える一つに「節度感」があると考えています。
たとえば、楽しい事や嬉しい事、怒った事や文句をつけたい事など、表現に節度感があって初めて他者に伝わるものだと。表現が濃くても、薄くても、それは他者に伝わらない物なのです。
特に濃い表現は反感も多く買いますからね。

節度感とは、表現という目的に向かった細い綱のような存在で、その上を落ちないように目的地まで渡る綱渡りのようなものだと考えています。モチロンGOALは意志の疎通をなす事。
まがいなりにも僕だって物書いて仕事(することもある)してますから、常日頃OFFであってもこのような事を考えて原稿を書くわけです。
(それでもブログは自由だよねぇ!)


しかし、WEBの世界はバカみたいな論評に溢れて、しかもその内容が無駄に面白い(本当に無駄に面白い)から性質が悪い。

例えば、某有名ラーメン屋の原価が※※円であったとして、利益率が※※%だからアレはぼったくりだ!とか。

そんな事書いたら中学生や中二病患者がラーメン屋でラーメンすすりながらトリビアしちゃうからやめろよ(笑)





物書き、曲書きってのは常に表現のラジエーションと、コンプレッションの狭間でせめぎ合う職業だと思っています。
特に、商用メディアにおいてはその比率を保つのが大変難しい。


中田ヤスタカというアーティストがDJからコンポーザーとしてメディアに出てきた時、「こいつも良くある一発屋だなぁ」程度にしか捉えていなかったのですが、上記にも挙げたコンプレッション&ラジエーションのバランスが素晴い音楽屋さんだと、新曲が出るたびに関心しきりなのです。
特にここ数年のPerfumeやきゃりーぱみゅぱみゅは、作品のバランス感覚(カッコ良さ・ダサさ・可愛さ・等のマーケティング戦略)が驚異的に優れていて、それらを纏めた「節度感」が異常に高いんですよね。しかも新曲が出るたびにそれが向上してゆくという(汗笑)


ちなみに、PVの演出脚本は田向潤氏、スタイリストは飯島久美子さんという方がここ最近を担当されているようです。
きゃりーのブレなささ(笑)はこんな裏方の活躍もありそうです。


21世紀初頭における日本を代表する音楽として、後年大いに語られるべきだと思うんですが、、、
どうでしょうか?(笑)





2 件のコメント:

  1. こんばんは。

     きゃりーぱみゅぱみゅは、間違いなく21世紀初頭における日本を代表するアーチストです。

     ちなみににんじゃりばんばんは、ロンドン公演の動画がライブの興奮が伝わってきて好きです^^。

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  2. release-windknotさん

    どうも毎度です。

    おぉー、同意見嬉しいです。絶妙に良いですよねー。
    きゃりーって、外人から見るとどんな感じなんでしょうかね。
    レディーガガの真似した中学生みたいな感じなのかな(笑)

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