2013年2月10日日曜日

消えてしまう文化?


何人か、ご存じの方もいるかもしれないけれど、a little riseというブログは以前naturumにあって、
そのころは柳瀬川をテーマにスタートし、「釣り」を主体としながらも釣り場案内的な事をやったりしながら、こんなお魚もいますよ、とか、オフ会的な事に参加したりとか、水質調査や水温調査もやったりなんかをしてました。

でも、なんというか味気のないタラタラとした展開に嫌気がさしてしまって、やめてしまった。
結局は自分の文才が無いというだけで、うだつの上がらない文章を残したくなかったんですね。
いまはもうその時の記録はほとんど残っていません。



2013初日の出 こっちが本当の色かな?
ここ数年、ブログを始め、デジカメで遊び始めてから、何だかデータを作るよりも消す時間の方が時間を取られるような気がしてならないんですね。


沢山の面白い事や、描きたい事を捻り出すよりも、それを不特定多数にむかって表現する際に「見栄?」のような気持ちが立ってしまい、本当に面白い事がなかなか表現できない気がするのです。
コレって表現の本質からすると相反するものだと思うんですよね。

ジャン・ジャック・ルソーの名言にもありますけれど、飾り立てた表現が物事の本質を突いているかといえば、その答えは限りなくNO!な訳で。



何処かの誰かが言っていたような気がするんですが、(ネットで見た?)デジタル文化は「消す文化」なのだそうです。たしかに!



音楽の話になりますが、10数年前に「Protools」というレコーディングに関わる全てがデジタル化することのできるコンピューターソフトと、それに関わるコンソールシステムが現れました。たしか日本で一番最初にコレを使ってレコーディングを行ったのは黒夢だったような・・・? SADSでしたね・・・。
この革命的なソフトが現れたお陰で、音楽制作のスピードは飛躍的に向上し、質の高い音源が沢山現れると思われましたが・・・・・・実際にはその逆で、あまりにも安易に音源が作れるために楽曲自体が飽和してしまい、年々音源の売り上げベースは落ちるばかりなのです。CDのような物理ソフトは酷い有様で、音楽ソフトウェア販売大手のHMVが破産したのは記憶にも新しい事です。

また、SEIKOが安価で性能良く生産できるクオーツムーブを生み出したおかけで、世界中の時計業界をひっくり返してしまった現象にも例えられると思います。趣味性の高い機械式スイス時計と違い、大衆時計を作っていたアメリカではTIMEX以外全滅してしまいました。


「量の増加は質の低下」あるいは「顧客の増加は単価を下げる」と
物販業会で言われるようになって久しいですが、あらゆる表現がデジタル化されたことで、ものごとの取捨選択が安易に行われるようになり、生み出すのも、消すのも、手軽に出来るようになってしまいました。
そして、結果的にツマラナイ物が世の中を闊歩する事態となりました。



でも、デジタルは今や生活の必需品ですし、これが無ければもはや電気もガスも使えません。
その反面、大量の情報は取捨選択が難しく、一度消してしまったものは二度と戻らないのです。




今から1000年前の書物は出てきても、今から1000年後にはデジタル情報って、残るのかなぁ?
何が良くて、何が悪いか、アナログだけの頃は、シンプルだったよね。。



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